私は昔から、自分の子供に音楽の道に進ませようとは考えていませんでした。けれど、ピアノを弾かせたいと言う思いは強く、息子が生まれてから、教えたくてそわそわしていました。「勉強するなら、ショパンとかラフマニノフくらいのまで弾けるようになったらいいな」と、それがいかに難しいことか知っていながらも、淡い夢を抱いていました。
もし音楽の世界に行きたいと言ったらどうしよう?ありえないことはない!
音楽だけで生計を立てるのは難しい。それを知りつつも、「音楽をやりたい!」だけで大切な息子を音楽の世界に送り込むのは無謀すぎます。
色々と考えて、もし息子が音楽の道に進むのであれば、幼い頃から芸術的才能を持っているのが明らかなこと、そして何があっても音楽の道を志したいという本人の強い意志があるのが条件、と心に誓いました。
息子が3歳になり、当時私がよく使っていたトンプソンの教材を彼に与えました。その教材の始まりは、生徒が4小節から8小節の簡単な曲を弾いている間に先生が伴奏を入れると言う形式で書かれていて、音楽の基本を学ぶだけでなく楽しさも同時に味わえるものです。息子も私と一緒に弾けるのを喜んでくれていたので、平和に楽しくレッスンが進んでいました。
毎日息子を観察すると、指の強さも形もなかなかのもの。飲み込みも早く、我が子ながら感心感心。ああ、早く明日が来ないかなと、息子を教えるのは本当に楽しかった。
ここで気になってきたのは親のエゴ。これができるならあれもできるぞ、と手応えを感じれば感じるほど、やらせたいことが増えていきます。普段は滅多に怒らない私でも、息子とのレッスンの時間になると人が変わってしまうのです。
5歳くらいになると、技術的なこと、音楽的なこと、言いたいことがとめどなく溢れてきます。私の練習を聴いて育ったからか(?)、部分練習を取り入れてかなり効率良く練習を進めています。中々やるじゃないか・・・、と感心つつ、次は何を教えようかまた夢が広がるのです。
問題は、レッスン中の口調が段々厳しくなってくる事です。「できる事をなぜしない!」「こんな簡単なことが一回でできないでどうする!」と、スパルタ母さんのような言葉が頭にポンポン浮かんできます。生徒に対しては感じたことも言ったこともないような言葉の数々も、息子相手だと訳が違います。口にしないので精一杯!かなり危ない状態です。
そんなある日のレッスン中、息子が言いました。
「お母さん、お顔が鬼みたいで怖い」
その瞬間ハッとして、一気に気が抜けました。息子はピアノはそこまで好きではありませんでした。「僕はピアノはやらない」と、はっきりそう言っていました。でも、弾くと上手だし、音楽的センスがある。「この子は記憶力が良いのでアンプにも困らないだろうし、肝が据わってる。これは舞台に出しても怖気つかないな」と、いつの間にか真剣に勉強させることを考えていました。でも、本人はやりたくないと言っている。しかもレッスン中、隣に座るお母さんは鬼の顔。
息子だからこそ、教えている時も境界線がなく、厳しくレッスンしてしまいました。普段、生徒さんたちに対しては考えもしないような思いと苛立ちが沸々と湧いてきます。そして泣き出す息子。これはダメだ。このまま続けたら、息子との関係は悪くなってしまうと思った私は、ある日心に決めました。もうやめよう、と。
私がもしピアノの世界に生きてこなかったら、この子には才能があるかも知れないと勘違いし、このままプッシュしてしまったかも知れない。やりたくないのに引き摺り回し、本人の望むことはやらせず、押し付けるばかりの教育をしてしまったかも知れないと、たまにふと思います。
これは、勉強やスポーツ、他のお稽古事にも言えることです。自分の子供に期待してしまうあまり、彼らの本当にやりたい事や遊びの時間を必要以上に奪い、強制的に塾や勉強部屋、レッスン室の中に押し込めてしまう。所謂、「教育虐待」にもなりかねない状態です。「良かれと思って」、「本人を思って」、「自分ができなかったから」、「自分がそうなりたかったから」と、子供への愛情がいつの間にか親のエゴに変わり、押し付けてしまう。
私は絶対にそれだけは息子にはしたくなかった。だから、自分の子供にピアノを教えるのはやめることにしました。
息子にピアノを教えることをやめてから、また普通の毎日に戻りました。毎週30人近く、他のご家庭のお子さんや大人の生徒さんを一生懸命教えることに集中しました。これで良かったと思って過ごしていました。
そんな頃、当時ご近所だった同窓のヴァイオリニストと仲良くしていたので(素晴らしい演奏家でした!)、息子に「ヴァイオリン習わない?」と聞いてみたら、「楽器が高いからいい」とすごく現実的な答えが返ってきたので却下😅。でも、ピアノはまたやってみたいと言ってきたのです。
幸いにも、当時住んでいた街では、ポーランド、ロシア、韓国、中国、と様々な国出身で、才能のある素晴らしい先生方が教えていらっしゃいました。ウェブサイトを見たりYouTubeで演奏を聴いたりしながら、息子をお任せしたい先生を探していると、私のポーランドの恩師が通った音楽院をご卒業された先生を見つけました。アメリカの大学で博士号も取得しており、その点においても謎の親近感。この先生だ!とすぐにコンタクトを取りました。
先生に連絡するとすぐに返信が来ました。トライアルレッスンへのお誘いで、早速息子を連れてスタジオへ行きました。そこは、同じくピアニストであるご主人と経営されていて、コンクールで入賞する生徒さんも多く出しており、かなりアクティブなスタジオです。お二人の演奏をYouTubeで聴きましたが、ピアニストとしても素晴らしい!どちらの先生でも、教えていただけるのであれば光栄と思っていましたが、息子はまだ6歳だったので、主に小さいお子さんを担当していらっしゃる奥様に師事することにしました。
結果、毎週楽しみに通うことになりました。ご夫婦からもとても可愛がっていただいたし、進み具合もよく本人も満足していました。レッスン開始後、1年ちょっとするとコロナパンデミックのためロックダウン、そして日本への引越しが決まり、スタジオを退会することになったのです。日本で先生をと思っていたのですが、先生が変わってしまうならレッスンはもう受けたいないとも言っていましたし、引越し先にピアノが置けず実家に通わないと練習できない状況だったので、ピアノ自体やめてしまいました。
我が家の場合、結局ピアノは続けませんでした。お母さんがピアノの先生だから教えられて良いね、と言ってくださる方もいましたが、どうしても自分自身を教えているような気になってきてしまい、うまくいきませんでした。線引きが難しいのです。息子は息子で、私が親なので容赦無く反抗してきます。そこから親子喧嘩に発展してしまうのです。
逆に、私が全く知らない分野のお稽古事はストレスフリーで、親の私も楽しめました。余計な口出しをせず、ただ息子が楽しんでいる姿だけを見守っている。応援して、サポートして、褒めて、喜んで、ポジティブしかない世界です!
もし、息子が無条件でピアノ大好き君だったならば、喜んで続けさせていました。けれども、そうでない場合は、親子だと難しいのだと痛感しました。距離が近過ぎて、喧嘩が絶えなくなりますし、必要以上に厳しくしてしまいます。私は子供の頃に自分が萎縮してしまった方なので、自分の子供にだけはそれをしたくなかった。だからやめる決断も早かったのです。
息子は、今はサッカーやコンピューターで3Dアニメーションを作る事を楽しみにしています。音楽は好きですが、80年代の曲やヒップホップなどクラシック以外を好んで聞いています。たまにラップを披露してくれて、踊りながらでそれを見るのも楽しい。
教えている当時は、息子はセンスが良いと思っていたので、正直やめてしまったのは残念です。けれど、本人がそこまで望んでいなかったのでこれで良しとしています。それよりも、これから中学へ進学して、色々と挑戦しながら本当に興味のある事を探し当てて、実り多い幸せな人生を歩んで欲しいなと思っています。
田園都市線「たまプラーザ駅」から徒歩17分、あざみ野行きのバスを使うと往復の坂道も楽です。「あざみ野駅」からは徒歩20分、こちらもバスをお使いになる事をおすすめします。
ピアノを勉強する生徒さんであれば、左手の重要さはレッスン中に先生から頻繁に聞くことの一つだと思います。私もそれを言う講師の一人で、生徒さんには左手の練習方法やどれだけ重要かと言うことを口を酸っぱくしてお伝えしています。生徒さん側からしたら、頭ではわかっていても、中々うまくコントロールできない事が多いです。左手と右手の力加減のバランスが取れなかったり、それ以上に演奏中左手がどれだけ脱力しなければいけないのか加減が難しいのだと思います。私もかつてはそうでした。さて、今回は左手が伴奏の場合の力加減や練習方法などのお話です。
レッスン中部分練習をする場面で、「もっとゆっくり!」という経験ありませんか?ゆっくり?弾いてますよ!こんなにゆっくり!と思っているのに、一体どれだけゆっくりすればいいの?と、言うことで、今回は「ゆっくり練習」について書いてみたいと思います。