スパルタ教育がまかり通っていた昭和時代

私が子供だった昭和50年代は、厳しい訓練と罵倒に耐えるスポ根アニメの再放送をテレビで観て、現実世界でも「スパルタ教育」なんて言葉をよく聞いたものです。音楽界でも、どこかまだ昔の厳格な雰囲気を引き摺っていました。

私が小学3年だった頃は、まだその昭和どっぷりな時代です。その頃からレッスンしていただいた桐朋の恩師は、背が高くて口数も少なく、私は緊張して一言も話せませんでした。けれど、先生の作り出す美しい音色と歌心に溢れたフレーズから、正直でとても優しい方だと子供ながらに感じていました。中学卒業までは毎週母が付き添ってくれましたが、先生のご自宅に着いた後、前の方のレッスンを聴きながら1、2時間は待ちますし、それから自分のレッスンを2時間受ける感じで、日曜の午前中に家を出ましたが、帰宅は午後2時や3時頃でした。妥協を許さず、とことん追求される先生で、幼い頃からそのようなレッスンを受けさせてもらえた事にとても感謝しています。

辛すぎて失せた音楽愛

晴れて桐朋の高校に入学しましたが、入ってから気が抜けてしまいました。それまでにあまりにもショックな別れが続いて憔悴、抜け殻状態です。中1の頃には毎朝学校に一緒に通っていた友人を通学途中に事故で亡くし、その翌年には妹を小児がんで失いました。それから毎年のように大切な誰かを失い、やっと何事もなくお正月を迎えられたのはそれから数年経った後でした。

人生に別れはつきものですが、多感な時期に同世代の友人と妹を失ったことで、神様に裏切られたように感じました。私はカトリックの幼稚園に通った影響で、毎日毎晩神様に祈るのが習慣だったからです。一番悔しい思いをしたのは本人たちです。あったはずの未来が絶たれてしまった。けれど、残された人間の無力さは、それも言葉に言い表せないもので、心に一生塞がらない穴がぽっかり空いた気分でした。今思えば、中学一、二年だった当時、実際にどこまで現実として理解していたのか分かりません。感情も未熟で、どこにも向けられない怒りや悲しみが未消化のままだったような気がします。なので、本来ならばやる気につながるはずの音楽を志す上での厳しさも、ただ傷口に塩を塗るようにしか作用しなかったのです。

肉体が衰弱し切った人が、走れと言われて急に立ち上がって全速力で走れないように、心が衰弱している人も同じで、立ち上がるどころか頑張れば頑張るほど空回りして壊れます。でも肉体は元気なので(特に10代だったので)、壊れていても誰も気づかない。周りも傷ついていましたから、仕方がないことなのでしょう。私の経験した例はほとんどの人に当てはまらないケースですが、本来ならばやる気を起こさせる厳しさも、メンタルの状態によっては毒にしかならないことは、想像していただけると思います。

良いサイクルができると人は変わる

渡米後、ポーランド人のピアニストとの出会いがありました。彼のマスタークラスを受講した後、生徒としてレッスンを継続しないかとお誘いがあり、そこから師弟関係が始まりました。

初めてのレッスンは、本当に衝撃的なものでした。なぜなら、先生と生徒の壁を越えて、言葉と心で音楽を分かち合った、幸せなレッスンだったからです。その楽しさに罪深さを感じるほどの感動を覚えました。先生と沢山の言葉を交わし、冗談を言い、笑顔でピアノに向かいました。そして、先生は私の弾きたいように演奏させてくれるばかりか、見たこともないような素振りで称賛の言葉を下さるのです。

人としての自分と、自分の音楽を信じて貰えていると言うのを確信できた事で、私は練習に没頭し始めました。練習が楽しくて仕方がありませんでした。一言で「楽しい」と表現すると誤解を招くかもしれませんが、練習の奥深さを噛み締めることができる喜びとでも言いましょうか。この練習が、数ヶ月に一度の幸せに満ち溢れた楽しいレッスンへと繋がっていきました。こんな風に、練習が身を結んでゆく良いサイクルが生まれました。これによって、10代初めに大切な人々を失う前まで感じていた「音楽への愛」が再び蘇ってくるのを実感していました。

良い「厳しさ」と悪い「厳しさ」

厳しいレッスンは「あるべき」です。特にプロを目指す場合、息を吹きかけたら壊れてしまいそうな張り詰めた空気を定期的に感じることは、厳しい実技テストやコンクールでの緊張に耐える精神を育てるのに必要です。

けれども、その厳しさが果たして「良い厳しさ」なのか見極めなければなりません。また、本来ならば良しとされる厳しさも、本人のメンタル状態によっては逆方向に作用することもあるのは上記した通りです。厳しい一言が必要と思うこともありますが、その際は冷静になり、第三者の視点から自分を見つめ、感情的ではないか、そして本当に生徒にとって有益なアドバイスであるか考える必要があると思います。辛辣な一言でも、先生も生徒も真剣に向かい合っていたら、その時はもしかして涙することがあっても絶対に心に届きます。そうでない言葉は、心に届くどころか心を引き裂き不信感を抱かせることになります。なので講師も覚悟を決めて伝える必要があると思います。

さて、そんな時親はどうすれば良いかですが、無闇矢鱈に練習しろと口酸っぱく言っても嫌になるだけですから、リラックスして音楽以外のことでも楽しませてあげてください。家は本来心を休ませ、安心できる場所です。特に未成年の子供にとって頼れるのは家と家族だけ。他にどこにも逃げ場がありません。だからこそ、外でも家でも四六時中緊張状態にさせることがないようにしたいものです。親には子供を養う義務がありますが、かと言って子供は親の所有物ではないのです。

たとえ年齢が若くとも、大人が見守る中で個人としての尊厳を尊重するのが理想です。講師は、厳しさとポジティブなアプローチをうまく組み合わせた指導を提供し、同時に、親は子供たちに無条件で支援の場を提供するのが理想な気がします。これによって、子供たちは自己肯定感を高め、自分を信じて前進する力を身につけることができるでしょう。

rieando

はじめまして、安東理恵です。 桐朋学園大学を卒業後、90年代に渡米。2021年に帰国。現在もリモートでアメリカ在住の生徒たちを教えています。 email: rieandopiano@gmail.com

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