「なぜ練習が嫌いになるのか?」嫌いにならなくても、「あ〜、練習しなきゃ〜」という気持ちになる生徒さんは多いと思います。私は、自分も練習が嫌だったので、生徒さんの気持ちが200%理解できます。
小学校低学年までは「10回練習したらシール1枚」という方法もありでも、子供はそのうち飽きてしまいますし、最終的にどれほど実りある練習に繋がるのか疑問が残ります。その練習では音楽性は養われないし、ただ弾くだけ、間違えなければ良い演奏になってしまいそうです。
レゴを組み立てる際やIKEAで買った家具を組み立てる際に、完成図の写真の隅っこに「こうなるように組み立てください」とだけ書かれていたら?あなたがレゴやIKEAの家具組み立てのプロならまだしも、細かい指示なしで完成はしません。音楽の練習も同じで、完成図はプロのレコーディングや演奏だとして、でも完成品のように美しくするには、楽譜を熟知し、作曲家の意図した事を今の世界に甦らせる事ができるよう、試行錯誤し、挑戦し、良い練習を重ねなければいけません。なので、完成図も説明も無しに、「ここ弾けるように練習しておいて」と丸投げにするのは、生徒にとって全くフェアではないのです。
余談ですが、私のポーランドのお師匠様がおっしゃっていたのは「最初は真似したっていい。大いに巨匠の演奏を聴き、真似しなさい。そのうち自分のものになるから。」と言うこと。歌謡曲の歌まねはあっても、クラシック演奏の音真似は存在しないし、不可能です。この言葉を聴いて以来、私は好きな巨匠の演奏はとことん聴いて、これいいなと思ったところは、その部分だけ巨匠の演奏を頭に思い描いて練習しました。
大学卒業するまで練習が嫌いで、なるべく練習なしで過ごしたいと思っていました(ごめんなさい)。中学の頃はトラウマ経験が続き、桐朋に入る前も入ってからも、その悲痛な思いばかり蘇って、どうやって練習したか殆ど記憶がありません。それだからか、元々そうだったのか、物心ついた頃には超感覚人間となっており、演奏も神頼みならぬインスピレーション頼み。演奏中のってくると宇宙に飛び立つかのような勢いでハイになり、どこまでも飛んでいってしまうような感覚にハマっていました。昔、親しくしていた霊感を持つ友人が、私が教会でラフマニノフのエチュードを練習しているを見て、「理恵さん、宇宙に向かって金色の光が広がってた。あの瞬間、どんな感じだったの?」と言うので、丁度その時は完全にハイ状態だった事を伝えた事があります。恩師も「時折、ハッとするようなアイディアを持っている。」と言ってくださった時がありました。昔は演奏自体がギャンブルで、そう言うものだと思っていたのです。危険ですね!
そんな私ですが、結果的に一日12時間練習してもまだ足りない、もっと練習させてくれー!と言う「練習魔」になってしまいました。インスピレーションハイから、練習ジャンキーとなって怪しさを増したわけです。今となっては、許されるのなら朝から晩まで練習していられる人間ですが、いつからそうなったかと言うと、練習方法を理解し成果が出始めたからでした。そのきっかけはポーランド人のピアニストに師事するところまで遡ります。
大学院へ行っている頃も、暇があればコーヒーを飲んでいるか練習ばかりしていたのですが、だんだんと生徒を教えるようになり、練習を生徒たちに強要せず、どうしたら楽しいと感じられるかを考え始めました。そして、出た答えは「実演販売もびっくり、レッスン中に練習させて練習効果を実感させる」方法でした。
ピアノの経験が浅い生徒たちは、効率的な練習方法を知りません。そのため、私たち講師がしっかり練習方法を教えなければなりません。絶対にBig NO-NOなのは、最初から最後まで繰り返し何度も何度も弾く練習。恐ろしい程時間の無駄使いです。でも、練習方法のわからない生徒は、その方法で練習した「つもり」になってしまい、練習してもしても時間だけが経ってゆくだけで、一曲が中々仕上がらないばかりか、上達も遅いです。非常に勿体ないことです。
まず最初に間違いを知るところから始まります。当たり前のように聞こえますが、音の間違え、運指の覚え間違え(か適当)、フレージングやアーティキュレーションまで、楽譜の読みが浅いが故の間違えは多くあります。大体、読んでない、(自分の音を)聴いてないで起こる間違えです。
生徒によっては、自分が間違えた音を弾いていることを指摘された後でも、理解できていない場合があります。その間違いの箇所で、毎回完全なる非和声音を鳴らしていても、です。これにはいくつかの原因が考えられます。一つは、曲自体を知らないこと、つまりレコーディングを聞いたことがないことや、聞いても聴き込んでいないこと。もう一つは、練習を重ね、その不協和音に耳が慣れすぎてしまったためです。リズムやフレージング、アーティキュレーションの間違いも同様です。でも、このような問題は、間違いを理解し何回か練習することで解決しやすい問題です。
さて、もう少し大きな問題として、テクニックがあります。こちらは音やリズム等の間違いのように単純ではないので、具体的な練習方法を生徒さん一人で理解するのは難しいかも知れません。そこで、講師の出番です!テクニック的に困難な場所は、大抵生徒の手の置き方や形、腕や肘の位置、あるいは親指をはじめとする指の使い方、はたまた指使いが間違えていたなど、そういった所に目を向けると直ぐにコアとなる問題が見つかり、そこから直していくことが出来ます。
その間違いが見つかった後、具体的に練習方法を伝えるのですが、実際にレッスン中に、その間違えを直すのに最適な方法を伝え、出来るまで根気良く練習してみます。早いと一回か二回で直ります。何故ならば、ずっと弾けなかった場所は、実はただ親指の位置が悪かったり、手が高かったりしただけの問題で、位置を戻せば簡単に弾けるようになったりするからです。
もう少し複雑なものは、かかっても10分15分で改善が見られます。その時完璧ではなくても、生徒自身実感できる程の違いがあるはずです。良くなってきた時点で、生徒に「さっきと比べてどう?」と声掛けをするのですが、大体改善しているのを実感しており、その時にたった15分でそれだけの変化があったことを伝え、自宅での練習に取り入れてもらうようにします。間違いを意識し、何を直すか認識し、それをできるまで繰り返す。それからその前後のフレーズや小節と繋げていく作業もあるのですが、それはもっとゆっくり時間を取らなければなりません。でも、一番の問題はこの方法で大抵改善可能です。
ここで気をつけなければならないのは、たとえ2時間や12時間掛けて出来ない箇所を集中的に練習したとしても、次の日はまた「ほぼ」振り出しに戻っていると言うこと。そこでがっかりしてはいけません。そう言うものだから。それを毎日繰り返すことで、ある時急に弾けるようになります。筋トレと同じ原理です(私はご縁がありませんが)。激しい運動をして筋肉がダメージを受けた後、その修復が行われ、徐々に筋肉が成長していくのと同じように、弾けない箇所も傷を癒すプロセスを経て、徐々に克服していくのです。これはまるで傷の治癒と新しい皮膚の再生のようなイメージです。
音楽家ってめちゃくちゃ筋肉使います。みんな隠れキン肉マンです。でも、しなやかに見えるのは、ヨガと同じように細かい筋肉をたくさん使っているからです。演奏は優雅に見える反面、思った以上にエネルギーを消耗します。長大な作品を勉強し始めると、例えばプロコフィエフのコンチェルト3番やリストのソナタをはじめ、全楽章演奏すると30分やそれ以上ある作品も、最初は「こりゃ30分通しじゃ無理無理!」と思うのです。でも毎日練習して体が慣れてくると、30分があっという間です。それほど体力と筋肉を使って演奏するんですね。私はマッチョじゃないですが、指腕立て伏せは出来ます。
練習方法は色々とありますが、具体的な練習の仕方については、ブログの中で少しずつお話ししていこうと思います。今回はこの辺で終わり。では、マッチョなプロコフィエフ3番置いていきますね。
田園都市線「たまプラーザ駅」から徒歩17分、あざみ野行きのバスを使うと往復の坂道も楽です。「あざみ野駅」からは徒歩20分、こちらもバスをお使いになる事をおすすめします。
ピアノを勉強する生徒さんであれば、左手の重要さはレッスン中に先生から頻繁に聞くことの一つだと思います。私もそれを言う講師の一人で、生徒さんには左手の練習方法やどれだけ重要かと言うことを口を酸っぱくしてお伝えしています。生徒さん側からしたら、頭ではわかっていても、中々うまくコントロールできない事が多いです。左手と右手の力加減のバランスが取れなかったり、それ以上に演奏中左手がどれだけ脱力しなければいけないのか加減が難しいのだと思います。私もかつてはそうでした。さて、今回は左手が伴奏の場合の力加減や練習方法などのお話です。