演奏は心の鏡

ピアノの練習

音から見える事

今回は、音と演奏に関する体験談です。

発表会で多くの奏者の演奏を聴いていると、ふと「こんな人かな」と思い浮かぶことはありませんか?

例えば、悲しいことがあったり落ち込んでいる日の練習途中、メールや電話で良い知らせを受けた後にピアノに向かうと、音色が明るく軽やかに聴こえることもあります。

このように、普段の様子や心の変化が、楽器を通じて音に反映されることがあります。

今でこそ演奏を聴いて、なんとなく奏者の性格が見えてきたり普段の様子が読み取れることもありますが、学生の頃はその逆でした。経験ある方や先生から、友人や自分自身について言い当てられることがあり、とても興味深い経験をしました。今回は、そんな体験談を幾つか書いてみようと思います。

全てのはじまりは、掃除のおじさん

高校は桐朋学園の音高に通いましたが、地元横須賀からは遠い!でも、ギリギリ通学可能なので、2時間掛けて通っていました。当時、小学生と間違われるほど小さかった私は(高校は私服なので尚更!)、ぎゅうぎゅう詰めの通勤電車に乗ると貧血を起こしてしまうので、始発の次の電車に乗って座って行くようになりました。忘れもしない午前5時34分の特急です。

当時仲良くしていたのは、同じく2時間組だったAちゃん。彼女と新宿で待ち合わせて京王線で仙川まで行き、学校に着くのは朝7時半過ぎ。その頃はすでに練習室は埋まっているので、クラスルームかお隣の短大へ行って練習していました。

当時、校舎は朝5時に開くのですが、朝早くから掃除のおじさんとおばさんが校内を綺麗に掃除してくれていました。その中の一人、おしゃべり好きなおじさんの仕事の一つは、各教室のゴミ箱を空にする事です。おじさんはゴミ箱を変えに来ると声を掛けてくれるので、Aちゃんと私も自然と会話するようになり、すっかり朝練常連になりました。ある朝練習を終えて教室へ歩いて行く途中、Aちゃんがびっくりした様子でおじさんに言われたことを教えてくれました。

「掃除のおじさんに『恋してるでしょ』って当てられたの!」

確かに、Aちゃんはその頃新しく恋をしていて楽しそうに話してくれていたけれど、おじさんに話す機会もないほど新しい出来事でした。おじさんは、「ここに長い間勤めていると耳が肥えてね。恋をすると皆んな音が変わるんだよ。すぐわかるよ。」と言っていたそうです。おじさん、耳肥えすぎ!

隠れた競争心

朝練は高校に通っている間続き、モチベアップに繋がっていました。私たちは、ある時期から曲が出来上がった頃に弾き合いをして意見を交換し合うようにもなり、ますます充実した朝練ライフを送っていたのです。

Aちゃんの演奏はとても上手で、聴いているだけで勉強になりました。お互いタイプの違う作品を勉強することが多かったので、多くの学びや刺激があったのです。それだけでなく、彼女が作る曲があまりにも美しいので私も曲を書くようになったり、気になるアーティストや小説、洋服やメークアップに至るまで、情報交換をしてお互い感化し合う仲でした。

そんな音高生活を送っていたある日のレッスンで、曲を通した後に先生からこんな事を言われました。

「競争心を持って弾くとダメになるよ。人より上手くなろうと思って弾いてはいけない。」

ドキッとしました。レッスンでは音楽的なアドバイスや技術に関することが中心ですが、その時のコメントは全く異なるものでした。

先生は、私が朝練していることは知りませんでしたが、「誰かより上手くなろうとしてはいけない」とか「競争心」と言われると、対象となるのはAちゃん以外考えられません。

10歳の頃から毎週私の演奏を聴いてこられた先生が、急にそんなことを仰るなんて、相当強いメッセージを感じられたのでしょう。”競争心”と言う言葉は、当時の私にとって恥じるべき言葉でした。音楽は自分にとって尊く神聖なものなのに、人よりも上手く弾こうと頑張ることは、自分の醜い感情を剥き出しにしているような気にさせられました。なので、そのような印象を持たせる演奏をしてしまったこと、そして自分が気付かぬうちにその感情を抱いて指摘されたことが、とても恥ずかしく思えたのです。今ならばどうしてそう思われたのか聞けますが、当時私にはその余裕はありませんでした。

あれから何十年も経ちますが、未だに競争心があったとは思っていません。私たちは、二人とも同じ方向を向いて、向上心を持って練習していることは確かでした。お互いを、自分を、高め合いたい一心でした。でも、競争心はなくとも、弾き合いでは上手に弾きたい思いは強いですし、なんだったら褒めてもらいたい笑。もっと上手に弾きたい!と言う焦りは確実にありました。焦っても空回りするだけで上達するはずないのに、気持ちだけ先走りしてしまったのでしょう。先生はきっと、私の演奏からそれを読み取ったのだと思います。

Did You Break Up with Your Boyfriend?

ところ変わってアメリカはワシントン州、シアトル。レッスンが毎週楽しみで仕方なかったのは、もちろん学びが沢山あったこともありますが、先生が大好きだったからです。アメリカのお父さんのようで、心からの信頼を寄せていました。芸術家としても全身全霊で尊敬していましたし、それは今でも変わりません。音楽のことや先生の演奏の歴史、作曲家や作品のことなど真面目な話もしましたし、プライベートの話も沢山しました。時には1時間話をして終わりになってしまうことも!

その頃、私には長い間慕っている人がいたのですが、やっとお付き合いし始めて直ぐに衝撃的な別れが訪れました。なんとなくわかっていたし、心の準備もできていたとは言え、その人のいない人生を考えると寂しくてどうしようもありません。でも、次の日はレッスンがあります。こういう時は逆に練習や音楽は気を紛らわしてくれると思い、普段と変わらず夜中まで練習し、心を入れ替えて次の日にレッスンへ行きました。

いつもと同じように、先生と元気に挨拶を交わし、軽くお話しした後に曲を通しました。こんな状況にありながらも集中してよく弾けたと思っていたら、先生の一言。

“Did you break up with your boyfriend?”

「彼氏と別れたの?」と一言目に言われた時はびっくりしました。先生はとても敏感な方だったので、私に元気がなかったのを感じ取ったのかも知れません。それにしても、「何かあったの?」のような聞き方ではなく、なぜかドンピシャで彼氏のこと😅

予想もしないシチュエーションで図星な一言に頭がぐるぐるしているのですが、平静を装って何故そう思うのか聞くと、「聴けばすぐ分かるよ。彼氏と別れた音をしていた。」と、即答でした。ここで嘘をついてもバレると堪忍して、前の日に悲しいお別れをしたことを白状しました。あの時は意味がわからないほど、本当にドキッとしました。

自分のカケラ、ひとつまみ

演奏は演劇にも通づるものがあると思います。感情を剥き出しにして演奏に没頭するのではなく、作曲家が意図したことを再現するため、感情的にニュートラルな状態でいながら、音楽的に表情豊かに演奏するのが理想だと思います。

最初にご紹介したAちゃんの音の変化は、演奏に良いエッセンスを加えることができます。特に明るく華やかな作品だったら効果抜群、最高です!彼とのお別れのエピソードは、先生が繊細すぎて普段の音とは違う小さな変化に気づいただけで、演奏に悪影響を及ぼすほどのものではありませんでした。実際、演奏には集中していたし、「彼氏と別れた音」と言うコメント(笑)も、それだからいけないと言う大きな意味はありませんでした。

けれども、二つ目の「競争心を持った演奏」はあまり好ましくないように思います。感情的な方向に引き寄せられてしまう可能性があり、結果的にネガティブな印象を与える演奏にもなりかねません。何をするにしても難しいかも知れませんが、人と比べない、そして人より上手く弾こうと頑張らない。比べて競い合うのは、いつも「過去の自分」だけです。

演奏というのは、例えがスピリチュアルなものかも知れませんが、イタコやMediumのような感覚に似ていて、作曲家の意図を自分の体を通して現代に甦らせる行為だと思っています。私たちは楽器を弾くことで、過去と現在、そして作曲家と私たちの次元を行き来している気がするのです。とても不思議な感覚ですが、ロマンティックでかつ瞑想的で、音楽を通してそれを味わえる私たちは本当にラッキーだと思います。

そんな中、わずかな心情の変化を上手に演奏に織り交ぜ、音に変化をもたらすことで、自分らしい演奏ができたら素敵だと思います。その小さな自分のカケラが、作品をより魅力的に、そして個性的なものにしてくれると思うのです。

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